影のaukaiさんⅡ

aukaiは私の大好きな亀さんの名前(Hawaii語で泳ぐ)

人の不幸と、人の幸せ

人の幸せを喜べない。

 

感謝もできない。

 

人の不幸は、まあまあ、安心材料。

 

 

 

こんな自分、なんなんだろう…って思ってきた。

 

でもね、中学のときの仲良かった同級生が亡くなったとき、

 

それ聞いてさ、病気なのか自殺なのかわからないけどさ、

 

でも、苦しんでいたと思ったら、すごく苦しかったのも事実。

 

有名な人が自殺で亡くなったのも、それを聞くと胸が苦しくなる。

 

苦しい思いしてたんだ…って。

 

自分には何か力になれなかったのか…って。

 

 

 

 

矛盾してるよね。

 

人の幸せは祝えないし、不幸もどこかで喜んでいるように思ってたけど、

 

苦しんでいたら嫌だ…という本能みたいな、湧いてくるものがあるんだよね。

 

 

 

よく、親は「子供の幸せを願う」とか聞くけどさ

 

私の親は「苦しんでいないといけない」って感じがするんだよね。

 

私がラクに、楽しくやってると、急にキレたりするし。

 

仕事で苦しむこと、苦労することが親の望み、、って感じでさ。

 

 

苦しまないとお金もらっちゃいけない、生きていけない、みたいなメッセージを

 

感じるんだ。。

 

(嫉妬されてるだけか)

 

(いや、親がそうやって生きていたから、だ)

 

 

 

だから、ラクして楽しんでいる自分には常に罪悪感があって

 

こんなんでお金もらってはいけない、って思ってるんだよね。

 

 

 

 

でもさ、わたしも人の不幸を安心材料にしながらも

 

本当に苦しんでいると知ると苦しいんだ。

 

 

親が子に思う気持ち、こういう感じか。

 

(ほんとに自分が感じたことないことは人にも当てはめられないという投影の感覚だ)

 

私が死にたいほど苦しんで、夜な夜なひとりで泣いて泣いて、

 

ときに腕を切って、血を流して、涙を流して…

 

ひとりぼっちでいることは、そりゃ望んでないよね。

 

 

幸せに楽しいく過ごしていることを望んでいるようには感じられないけど、

 

苦しんで死にたくなってる自分も望まれていない、ということがなんとなく分かった。

 

 

 

 

 

仕事してない、家を提供してくれることは=ラクしてる、幸せだ

 

みたいに思われてるかもしれないけど、わたしはこれでも幸せだと思わないし

 

苦しくて勝どきで泣いていることもある。

 

形じゃない。

 

目に見えることじゃない。

 

感じる「幸せ」は、何かをすることで生まれるものじゃない。

 

 

何かをしているから、

 

何かを持っているから、

 

何かに貢献してるから、

 

笑っているから、

 

だから?

 

幸せってわけではないんだ。

 

 

 

 

それは分かった。

 

じゃあ、何が幸せだろう?