影のaukaiさんⅡ

aukaiは私の大好きな亀さんの名前(Hawaii語で泳ぐ)

人と人との間に「言葉」があるって話を

 

前々回くらいに書いたんだけど。

 

 

 

ピアノを弾くことも似てるかもなぁ、と。

 

みんなの「知っている曲」を弾くことは

 

言葉のコミュニケーションと似てて、

 

既にあるものを、出す。

 

それを聞いた人も、それを知っているし、

 

間違ったらわかる。

 

 

 

だけど、ただ感じるままに、奏でるままに、気持ちのいいように弾くことって

 

そのままのこころや感情をそのまま表現することであるのかも。

 

 

 

そして、理解されない気がして怖い。

 

言葉のようにはっきりとしたもので理解はされないんだけど

 

でも、感じとることはできる。

 

それぞれの感じ方で。

 

それぞれの感じ方で感じ取る…

 

これって言葉も一緒だよね。

えーと。

NRくんと会って

 

寂しさや、欲求を埋める目的で。

 

でも、いろいろと心の深い話もしたくて

 

ほんとに色々話してみた。

 

彼も、おお、そうかそうかと色々と話してくれる。

 

だけどやっぱりどこかズレてる。

 

心の触れ合いを感じない。

 

体を重ねても、こんなに話せるのに。

 

なのにここをが、ぽつんと取り残されたような感覚。

 

 

 

こんなに話して、

 

体にも触れて、

 

ぎゅーって強くハグもしてもらったのに。

 

 

ね。

 

 

 

 

求めているものはここにはないんだよね。

 

きっと。

 

どこだろう。

 

わたしは何を求めてる?

 

 

このふたりの時間はムダ?

 

そうなのか。

 

こころに触れたい。

 

ほんとにこころに触れたい。

 

みんなのこころ。

 

 

自分のこころに触れたいってこと?

言葉とこころの差

言葉について。

 

こころが言葉に引っ張られる話。

 

「彼女」とか「付き合ってる」とか「友達」とか

 

そういう言葉に違和感があって

 

なぜかって。

 

 

こころとか感情がまず人間の中にあって

 

それを誰か自分以外の人と共有したり伝えるために「ことば」があるわけでしょ。

 

だから、こころの感覚と言葉をパズルのように当てはめていく。

 

トランプの神経衰弱のように、この感覚にはこの言葉ねって、

 

まっさらだった赤ちゃんのころから、、

 

ずっとそうやって人とのコミュニケーションのために言葉を当てはめてきたわけ。

 

 

大前提として、感覚は人ひとりそれぞれの感覚だし、

 

他人の感じ方を体験することはできないので、

 

あくまでも他人の感覚は言葉で説明されたものを想像するとか、

 

同じ体験したなあとか思って、共感しているということ。

 

(決して同じ体験ではないけど、同じような感じだな、という意味)

 

 

 

 

 

んで、人と人との関係性の話。

 

「彼氏」とか「友達」とか「夫婦」とかって、言われると

 

その言葉を聞いて、じゃあこういう気持ちなんだね、とか

 

じゃあこういう関係なんだね、とか勝手に理解するじゃん、みんな。

 

このなかの「こういう」って部分は社会的につくられた常識とかルールとかに

 

のっとっているわけで、個人個人の気持ちとか関係性とかガン無視なんだよね。

 

 

べつにそれでいい関係性ならいいけど。

 

社会的にだれもが納得いく関係ならぜんぜんいいんだろうけど。

 

それがみんなそうなわけないじゃん?

 

だって、みんな違う人間に産まれたんだからさ。

 

いろいろあるじゃん。100組いたら100通りの関係があるじゃん?

 

 

 

わたしだって、ひとりとして同じ関係と呼べる友人いないんじゃないかって

 

思う。

 

友達ひとりひとりが特別な関係。

 

男も女も、ひとりひとりがわたしとその人との特別な関係。

 

 

恋人って言ったって、どこからが恋人で、どの人が恋人で?とか線引きが

 

ないのかもしれない。

 

自分がこの人の事好き♡(恋愛として)かどうかは、わかるよ。

 

だけど、そうじゃない友人でも、ハグはしたかったり

 

手に触れたかったり、体を求めてみたり。

 

人それぞれ、そしてその時々で違うんだよね。

 

 

「普通」の世界から見たら、不思議かもしれないけどさ

 

体に、こころに正直に生きたらこうなったよ。

 

 

逆に社会のシステムからはみ出していない人たちが

 

不思議だし。

 

 

放出できないきもち

いとしいひと

 

会えないし、想われてないという現実

 

そうじゃないかもしれないという期待

 

何度も行ったり来たりするけど

 

結局わたしに興味ないという証拠が

 

いくつも見当たって

 

おちる。かなし。そんなわけないのに。

 

見たくない。見えるもの。

 

こころが壊れていくのを真顔で見られている。

 

助けてくれない。

 

だって興味ないんだもん、あのひと。

 

メールに何も絵文字すら返さないという

 

わたしにはない選択をする彼。

 

もし少しでもまた来てねとでも思っていたら

 

なにか返すかな。

 

そう言ったら思わせぶりになるから無視なのかな。

 

ちゃんと誠心誠意返して欲しい。

 

放置することで悟れみたいなの、つら。

 

態度で示しているって言ってたし

 

期待に応えれないって言ってたし

 

わたしもほんとにやめた方がいいのはわかっている。

 

ただ、

 

この今、この気持ちを

 

放出したい。

 

付き合いたいわけでもなく、

 

結婚なんてしたいわけではなく、

 

この今つらい気持ちを、もやもやを、

 

とにかく消化したい😭

 

考えて、恋みたいな錯覚になっている

 

そんな気がする、、

 

まじ、目を覚ますだけ。

 

私の見ているもの、というかみんなが見ているもの

 

思い込みだし、錯覚だし、

 

ただ起きたことが、起きただけで、、

恋です。

 

簡単に恋する、

 

10月によしあき。

 

好きになって2月頃にはもう無理だろうなと確信して

 

でも別れられなくて。

 

惰性でそのまま。

 

 

アプリやったり、

 

やる気ないまま過ごしたり。

 

 

このタイミングで萩と下関に行こうと決めて

 

来たら来たで。

 

なんかここの宿の人が謎に惹かれて。

 

けっこう好きで。

 

伝えたくて。

 

放出したいエネルギーって感じで。

 

このまま終わられられるんだけど

 

そうしたくなくて

 

わたしはここでこれを感じていて。

 

それが無かったことではなく

 

あること、ということで彼に話したい。

 

伝えるのがまじで怖くて

 

母に全部話したときくらい怖かった

 

スペインのキムの前でこわくて泣いてた

 

こころがすごく動いて

 

それを優先出来てよかった

 

 

お腹、体感、感情、、

一瞬のことで、ぐわーってなる。

 

パパの運転で交通事故起きそうになったとき、まじで体感やばかった

 

吐きそうなくらい。

 

誰かに迷惑かけるとか、怒られるとか、自分のせいとか、

 

そういう気持ちかな。

 

死ぬほど味わいたくないやつだと思った。

 

あとは、パパが悪者になるのがこわいってのもある。

 

 

 

 

土日で勝どきいって。

 

たいせいと石井君とチルして。

 

月曜ぱぱのお昼に付き合って、

 

千葉帰ってきて、まだキッズがいて。

 

 

全身のイヤーな感じ。

 

体に力が入らない感じ。

 

大人の対応しなきゃといつもの平静の自分。

 

ほんとにしんどい。

 

体も内臓も動かなくなる感じ。

 

体感しんどすぎる。