影のaukaiさんⅡ

aukaiは私の大好きな亀さんの名前(Hawaii語で泳ぐ)

言葉とこころの差

言葉について。

 

こころが言葉に引っ張られる話。

 

「彼女」とか「付き合ってる」とか「友達」とか

 

そういう言葉に違和感があって

 

なぜかって。

 

 

こころとか感情がまず人間の中にあって

 

それを誰か自分以外の人と共有したり伝えるために「ことば」があるわけでしょ。

 

だから、こころの感覚と言葉をパズルのように当てはめていく。

 

トランプの神経衰弱のように、この感覚にはこの言葉ねって、

 

まっさらだった赤ちゃんのころから、、

 

ずっとそうやって人とのコミュニケーションのために言葉を当てはめてきたわけ。

 

 

大前提として、感覚は人ひとりそれぞれの感覚だし、

 

他人の感じ方を体験することはできないので、

 

あくまでも他人の感覚は言葉で説明されたものを想像するとか、

 

同じ体験したなあとか思って、共感しているということ。

 

(決して同じ体験ではないけど、同じような感じだな、という意味)

 

 

 

 

 

んで、人と人との関係性の話。

 

「彼氏」とか「友達」とか「夫婦」とかって、言われると

 

その言葉を聞いて、じゃあこういう気持ちなんだね、とか

 

じゃあこういう関係なんだね、とか勝手に理解するじゃん、みんな。

 

このなかの「こういう」って部分は社会的につくられた常識とかルールとかに

 

のっとっているわけで、個人個人の気持ちとか関係性とかガン無視なんだよね。

 

 

べつにそれでいい関係性ならいいけど。

 

社会的にだれもが納得いく関係ならぜんぜんいいんだろうけど。

 

それがみんなそうなわけないじゃん?

 

だって、みんな違う人間に産まれたんだからさ。

 

いろいろあるじゃん。100組いたら100通りの関係があるじゃん?

 

 

 

わたしだって、ひとりとして同じ関係と呼べる友人いないんじゃないかって

 

思う。

 

友達ひとりひとりが特別な関係。

 

男も女も、ひとりひとりがわたしとその人との特別な関係。

 

 

恋人って言ったって、どこからが恋人で、どの人が恋人で?とか線引きが

 

ないのかもしれない。

 

自分がこの人の事好き♡(恋愛として)かどうかは、わかるよ。

 

だけど、そうじゃない友人でも、ハグはしたかったり

 

手に触れたかったり、体を求めてみたり。

 

人それぞれ、そしてその時々で違うんだよね。

 

 

「普通」の世界から見たら、不思議かもしれないけどさ

 

体に、こころに正直に生きたらこうなったよ。

 

 

逆に社会のシステムからはみ出していない人たちが

 

不思議だし。