何のために?
なぜ?
どんな目的で?
などの質問、そう考えること自体が
「頭」の理性中心の発想であり。
「愛」と「欲望」の観点から見れば
「~のために…」と見返りを期待しているような思考は「欲望」ということになる。
純粋な「愛」には見返りは求められないし、目的もない。
なんのために生きる?
その答えは、考えて出るものではないらしい。
湧き出るもの。
自然のもの。
そこにある川とか森が「なんである?」と考えるのと同じ。
理由なんてないし。
自然の営み。
全てが自然に影響し合ってこの世界・地球・宇宙が成り立つ。
ひとつ欠けると、自然に影響し合って修正していく。
もしくはゆっくり壊れていく。
そんな感じ。そんなもん。